固定観念を捨てるって清々しい。年末年始も世間の押し付けにのっからなーい。
こんにちは、なおこです。ご覧いただきありがとうございます。
大晦日ですね。
クリスマスに大掃除、年賀状、年越しそば、おせち料理、初詣、帰省やごあいさつ…
年末年始は本当にいそがしいですよね。
私も3年ほど前まではそういった世の中の流れや常識にとらわれ、さらに承認欲求がとても強くて完璧主義でもあったので、ひとりで勝手にてんてこまいになっていました。
でも今の私は、家で一人ゆったりパソコンと向き合ってます。
夫は、一人で実家に帰りました。
「一人で年越しってかわいそう」
「寂しいでしょ」
「一緒に行けよ」
「結婚してる意味あるの?」
などなど、いろんなことを思う方がいて当然だと思います。
でもね、めちゃくちゃ心が自由なんです。
年越しが一人で寂しいという気持ちは、あっても0.1%くらい。
それは、夫のことが嫌いなわけではなく、私は夫がどうしたいかという気持ちを尊重していて、
夫は私が家にいるという気持ちを尊重してくれたのです。
お互いがお互いのやり方、選択を尊重し合っての今なので、本当に清々しいです。
世の中が大晦日だからこうしなきゃいけない、お正月はこうあるべき、という枠を捨てて、自分が自分のために時間とエネルギーを使えるって、本当に最高です。
ではなぜ、私たちは年越しやクリスマス、誕生日などを一人で過ごす人のことを「寂しい」とか「かわいそう」と言うのでしょうか?!
なぜ、「絶対に一人で過ごしたくない!」と、一人で過ごす自分のことを受け入れられないのでしょうか?!
まあ、かく言う私もずーっとそう思い込んでいたので、とっても気持ちはわかります…。
でも私たちは、そう思うように思い込まされてきただけだったのです。
精神的に自立をしていない私たち大人が、そういう価値観をつくり上げてきたのです。
冷静に考えればなんてことないのです。
でも、人からどう思われるかを気にして生きてきた私たちにとっては、劣等感を感じ、自分の価値が否定されたかのように感じてしまうのです。
このようなことで自分の価値が否定されたかのように感じるということは、普段から自分で自分の価値を認められていないということです。
他者からの承認欲求が強く、
誰かが認めてくれるから自分を認められる。
誰かが認めてくれない行動をする私は価値がない。
と思ってしまうような状態なんですね。
いわゆる他人軸で生きているのです。
以前の私なら、夫の親に嫌われてはいけない、良い嫁でないといけない、という思い込みがあったから絶対に行っていました。
それと、ごちそうを出してもらおうという汚い気持ちもあったから。
行きたくないのに仕方なく行くと、そのぶん元取ってやろうって思っちゃうんですね。
結局、親のお金や物を目当てに行き、親は親で「お金や物を出すんだから言うこと聞きなさい」という支配的な関係が出来上がるのです。
その関係性で集まったとして、傍から見たら良い家族と思われるかもしれないけど、それだけ。
承認欲求は満たされるけど、本当の幸せってこういうことではないと私は思います。
安心して寛げる家族だったら良いんですよ。
でも、そういう家族だったら、「来い」と言われずとも、ごちそうがないとわかっていても、「行きたい」と自発的に思えるわけです。
親が言うから、こうやって思われるから、というのは自分の意思ではないですよね。
これでは、自分の行動が親に決められてしまっている状態です。
こういうことが続いていくと、どんどん関係性がゆがんできます。
自分が行く必要がないと思ったら行かなくていいのです。
その選択権は自分にあるのです。
今までの私は、人にどう思われるかということにばかり価値を置いてきた人生だったけど、
今の私は、嫌われてもいい、ダメな嫁と思われてもいいと思っています。
これは投げやりな気持ちではなくて、自分が自分という存在を許せるようになったからです。
誰かに認めてもらわなくても、自分で自分を認められるようになったから、良い人を演じるという嘘をつく必要がなくなったのです。
これを読んで、「私もそうしたいけど、私には無理だよ…」って思う方もいるでしょう。
誰も幸せになれない関係性なんて、いらないですよね。
どうするのが正解ということはありません。
世間の固定観念では正解らしきものはありますけど…。
自分がどうしたいかという気持ちにとことん素直に向き合ってみて、あなたがあなたのために選択をしてみてくださいね。
一年ほど前の動画なので、少し変化があるかもしれませんが、良かったらご覧くださいませ。
良いお年をお迎えくださいませ。