「私は正しくなかった」と知る。
こんにちは、なおこです。ご覧いただきありがとうございます。
世界の情勢が大きく動く中、私たちがやっていくことは、
本当の意味で自分にやさしくあることだと思います。
「反対の声を上げること」「誰かを否定すること」
これらは一見、平和のための言動であるかのように思えます。
でも、反対や否定をすれば、必ず反発がやってきます。
私たちは、本当の真実がどういうことなのかを知らない。
本当は何が正しくてどうしてこういうことが起こっているのか…。
誰かが言う情報が本当に正しいものなのか…。
何もわからない。
なのに、これは善だ、これは悪だと判断している。
私も争いごとは好きではありません。
それどころか、大嫌いでした。
いつも自分の身の周りにちょっとした争いごとが起こるだけで、
呼吸と鼓動が速くなり、不安に囚われ、
「もうやめてー」
という感じでした。
そんな私が自分で争いごとを生み出すなんて、
そんなこと絶対するわけない…。
でも、実際の私は夫に対して、争いごとを生み出していました。
夫以外の人にも争いごとを生み出していました。
「私が正しい、あなたは間違っている」
といった正義のもとに。
だけど、そんな正義はなかったのです。
「私は正しくなかった」
私は私の思い通りになるように、
その欲望で周りを巻き込んでいたのです。
争いごとが大嫌いなくせに…。
人って残念ながら、そういうところがあるのです。
そういう恐ろしい自分がいることを知る必要があるのです。
私が人一倍、汚い人間なのかもしれませんが。
そういった欲望は、自分で自分の価値を認められない
というところからきています。
とは言え、類は友を呼ぶ、波長の合う人がやってくるので、
私も夫や誰かの欲望に巻き込まれていました。
だから私の人生いろんなことがありました。
自分の思い通りにできるのは自分のことだけです。
他者を正義のもとにコントロールすることはできないし、
出来たように見えても、そこには火種が生まれています。
自分が平和のための言動をとったと思っても、
それが本当に平和につながるのか、そもそも平和のためなのか…。
私たちが平和を望むのなら、
私たち自身が自分の内側から、
穏やかで平和な心を生み出していくことが大切だと思います。
自分の中にも相手の中にも火種をつくらない。
今まで正しいと思っていたこと、
世の中の固定観念、押し付け、親の教え…
そういったものが間違っていたり、
誰かの思い通りにしようという欲望のために
巻き込まれているかもしれない。
私たちができることは、
自分の足で立って、自分も他人も否定せず、
自分自身をととのえていくことだと思っています。
まとまりのない文章になってしまいました。
おやすみなさい。